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10/16 2007  北上を続ける蝶


■とうとうツマグロヒョウモンが・・・
 とうとう、やってきてしまいました。10月13日、日光市内(旧日光市)でブッドレア(フサフジウツギ)の咲き乱れる河原で、十数頭のツマグロヒョウモンが吸蜜に来ているのを見かけたのです。

日光のツマグロヒョウモン♀  ツマグロヒョウモンは、紀伊半島以南や四国・九州に生息する南方系の美しい蝶として昆虫少年こけこっこのあこがれの蝶の一つでした。
 ところがここ数年、関東地方でもその数を増してきて、園芸種のパンジーやビオラといったスミレ科の植物を食べながら世代交代を繰り返し、どんどん北上を続けているようなのです。とくに今年は全国各地で爆発的に増加しているようで、栃木県内でもあちらこちらで目撃されています。暑い夏を越し、秋になってさらにその分布を広げてきた印象があります。

 日光ではこれまで全く見かけなかった蝶で、小さい頃の印象とは裏腹に今やツマグロヒョウモンは温暖化の申し子のような悪いイメージを持っていましたので、来ないでくれ、来ないでくれと祈っていました。
 昨年もこの時期同じ場所を歩いたときは、メスグロヒョウモンミドリヒョウモンウラギンヒョウモンなど夏眠を終えたたくさんのヒョウモンチョウ類でにぎわっていましたが、もちろんツマグロヒョウモンは全く見かけませんでした。
日光のツマグロヒョウモン♂  ところが、今年は、大違い。ごく少数のメスグロヒョウモン、ウラギンヒョウモンを見かけただけで、他に飛んでいるのはすべてツマグロヒョウモンでした。ブッドレアは多くの蝶が集まりますから、キタテハアカタテハヒメアカタテハシータテハなども目立ちましたが、それでもツマグロヒョウモンの数には及びません。
 でもツマグロヒョウモン自体はとても美しい蝶です。蝶そのものを評価すれば♀の裏面の複雑な文様や、♂の表面の鮮やかな山吹色は他のヒョウモンチョウ類には見られない独特の美しさを持っています。

 ツマグロヒョウモンの急激な増加の原因は、人間の活動によると思われる大きな地球規模の環境変化が根底にはあるのでしょうけれど、他にも記録的な暑さとなった今年の夏の気温(8月までの気温グラフ)や、本来なかったパンジーやビオラの栽培により幼虫の食餌環境が良くなったこと、さらにツマグロヒョウモンの優れた環境適応力などが重なって、このような爆発的な増え方をしたのでしょう。

日光のムラサキシジミ
■ムラサキシジミ
 ツマグロヒョウモンと同じくムラサキシジミも暖地性の蝶です。栃木県内では古くから県南の益子近郊の低山地に生息していて宇都宮近郊でも希に見ることができた蝶です。こけこっこも何度かその産地に出向きましたが見たことはありませんでした。

 日光では、2004年7月にこけこっこ家近くの落葉樹林で見かけたほか、2006年6月にはだいや川公園で見かけ、ずいぶん北上してきたな、と感じていました。
標高1,200m地点のヨツバヒヨドリで吸蜜するムラサキシジミ  ところが今年は既に3回も目撃しています。そのうち1回はだいや川公園でしたが、あとの2回は7月になんと標高1,200mを超える雲竜渓谷だったのです。幼虫が食べる常緑広葉樹は生育していない地域ですが、盛夏にウラキンシジミを撮影に行った同じ場所でヨツバヒヨドリの蜜を吸っている姿には驚きました。


 他にもモンキアゲハも年に1回は見かけるようになりました。
 一方、2004年まで大谷川の河原でみかけたミヤマシジミはそれ以降全く見られなくなりました。また、アカシジミウラナミアカシジミなどの平地産ゼフィルスも2005年を最後に見られなくなりました。ウラクロシジミオナガシジミも2005年が最後の目撃。またツバメシジミヤマトシジミなどの普通に見られた種ですら、少なくなりました。

■国破れて山河あり
 「蝶」という、自然環境を構成するごく一部の生き物だけでさえも、これだけその変化を感じるのですから、きっと他にも気づかないところで自然環境の大きな変化が起きているだろうと容易に想像できます。シカの生息数増加に伴う草本類の激減もその一つだと思います。これまで見られた花々がなくなり、下草がほとんどない荒廃した山を見るたびにとても悲しい気持ちになります。

 このような自然環境の変化は、感情的な想いをわれわれが感じるだけでなく、いずれ人類が生きるための大きな障害になるような気がしてなりません。結局はわれわれの元ににツケが帰ってくるのでしょう。

 ブッシュ大統領が先進国に温暖化防止のための数値目標を定めた「京都議定書」は誤った政策だった、と発言したそうです。経済発展が減速してはならないという趣旨なのでしょうが、世界最大の温暖化ガス排出国で超大国のトップがこのような発言を公にすること自体、人類の未来に危機感や絶望感を持つ人々が増えてくることと思います。
 でも仮に人類が滅びたとしても、きっと山野は荒廃した姿を徐々に元に戻して昔のような多様性に富んだ環境に変わっていくに違いありません。杜甫の心境とは違うかもしれませんが、「国破れて山河あり」という言葉がぴったりします。