7/28 1998 珍しいお客様



7月24日、玄関の外灯に珍しいお客様が飛んできました。ミヤマクワガタの旦那です。(写真)
立派な角を生やし、捕まえようとすると旦那は歯を一生懸命ひろげ威嚇します。この周りは山だらけなのですが、これまでミヤマクワガタの奥様はたびたび訪れてくれましたが、旦那は初めてです。
久しぶりに立派な角を見せてもらい、小さい頃、クワガタとりに夢中だった頃を思い出しました。

当時、日光に住んでいなかったKokekokkoはクワガタといえば、やはりノコギリクワガタでした。
小学生当時、クワガタを山で採って学校に持ってきて友達に見せびらかすことは当時の我々にはステータスでした。
立派な角を持つ、特に赤みがかったノコギリクワガタをもってこようものならば、周りには人垣ができるのでした。そしてそれを持ってきた男の子は誇らしげな顔を隠さないのでした。


しかしそのノコギリクワガタを上回る珍品は、やはりミヤマクワガタなのでした。それは、角の付け根に王冠のような突起をもち、体全体に茶褐色の微毛を生やし、気品に満ちあふれているのでした。ミヤマクワガタを持っていけると友人の間でも別格でした。ノコギリなど吹っ飛んでしまうのでした。

こんなことを思い出しながら、ふと現実の昆虫をめぐる最近の状況に目をやると、もう、たいへんです。
どこにでもカブトムシ・クワガタムシは売っていて、最近最も情けないのはオオクワガタを数万円の値段で取引をしているということなのです。大きさにより値段が違うようですが、ペットショップでそれを売っているのを見たときは、ちょっとばかりショックでした。ミヤマクワガタもしかり。

山にいて、滅多にみられない昆虫がなぜ、町のペットショップで買えるのでしょう。ペットショップにいるミヤマクワガタを買った子供達はそれをどうするのでしょう。自然の中で虫を採るプロセスなしに、店でいきなり「成虫」の形で買う昆虫に子供達はなにを感じ、その昆虫が自然とどのように関わっているかを感じることができるのでしょうか。
需要があるから、供給され商売が成り立つのでしょうが、我々が小さい頃に接してきた昆虫採集は、大きな全体的な自然の中の一つの要因というか、果実をつみ取る、みたいなものであり、そのプロセスで知らぬ間に自然の役割のようなものを感じ取っていたような気がします。
もっとも、当時、お金があって、どこでも昆虫を買うことができれば、きっと親に買ってもらっていたような気もします。子供の昆虫への欲求は苦労して自然の中で虫を採ることより、採った虫そのものにあるのだから仕方がありません。
むしろ、自然の中で虫を採らなくても手に入る時代、それを子供の将来も含めて考えるのは、やはり親の役目なのかもしれません。

つい、日頃の愚痴が出て長くなってしまいました。このへんで。